デスノ映画の感想を書きました

劇場版デスノート観て来たので感想を書きました。さらりと要点のみにしたかったのについつい語ってしまった…非常に長文です。基本的には面白かったという気持ちですが、感想文には批判的な意見もそれなりに含みます。 そしてもちろん、ラストを含む超ネタバレですのでご注意ください。

夜神月

初っ端からすみません、一番キビシイなーと思ったのが月でした。とにかく藤原くんが普通の男子にしか見えないんですよ。彼は冷徹で計算高く、幼稚ではあるものの高い理想を持って犯罪者を裁く人物だと私は思っていたのですが、どうしてもこの映画ではそう見えない。最初の方の、繁華街の雑踏の中でノート出して名前書いてる場面で「あちゃー!」でしたよ。引き出しにノートを隠すトリックを描かないまま詩織を部屋に招き入れるシーンもあったし。天才を演出し切れていないよ〜という印象です。
最後の詩織の死の辺りは特に彼の冷酷さを描き出さなきゃいけないのに、なんであそこで「本当に詩織を好きだったかもしれなくて後悔している」ような表情をしちゃうのかと。
それと、細かいことかもしれませんが、ナオミが詩織を人質に取ったとき、何で月はペンを持ったの? 既に死の工作は済ませてるのに意味ないじゃん。私てっきり、詩織が死んだあと、泣き崩れていると見せかけてあのペンで詩織の背後でナオミの名前を書いてるんだと思って観てましたよ…。
それから他所の感想サイトでもツッコミ入ってて「そうそう!」って思ったのが「月が悪筆」「1ページに数人ずつしか書かない使い方は豪快」という点。月らしさというか、賢さが乏しいんですよ! あと手がね、細かいことなんだけど藤原君の手はぽっちゃりしていて天才の手っぽくない…。しょっちゅう手元をアップで映す映画なんだからもっと細く長く美しく達筆の手タレ使えばよかったのにと思う。

カッコよかった! Lに関しては大満足です。よくぞあんな実写化しにくそうなキャラクターを演じきったものだと思います。最後、演出上の問題とは言えあのLがポテチを食べた!?という違和感を除けば文句なし。ワタリは台詞も出番も控えめだったのにさすがの存在感でした。可愛いワタリで嬉しい。
Lは「実写で無理なんじゃないか?」と悲観的になってた分「思ったよりもイイ!」って感覚が強いのかも知れません。登場してる間ずっと甘いお菓子をもてあそび続ける演出だけでもファンとしては幸せでした。

詩織

一番の不安材料だった映画オリジナルのヒロイン・詩織でしたが、なかなかどうして彼女をキーにして物語がうまく2時間にまとまっていて、ただの花を添えるキャラクターではなかったのが良かったと思います。特に最後は、Lのやり方にもキラのやり方にも疑問を投げかける死に様で本当に重要な役どころだったですね。これで藤原くんがもうちょっと…キラらしく…詩織を完全に勝負のコマのように残酷に打ち捨ててくれていれば完璧だったのに。←詩織にとってはひどい話なんだけど…

南空ナオミ

何でこんな変な人になっちゃってるのか…あれこれと迂闊だし。

捜査本部の人たち

全然活躍してないのは「後編をお楽しみに!」ってことかな? 夜神局長の正義感をLと対比させる演出はいいですね。Lをも正義としないところが。夜神局長の演技力による部分も大きいと思います。局長は最後、ラストに関わるキーパーソンになりそう。

渋井丸拓男

なんか重要キャラに大躍進じゃん! しかし、完全なる悪を強調したのは逆効果だったような。シブタクに関しては、ちょっとした町のゴロツキなのにノートの真偽を確かめるだけのために書かれ、殺され…そして、殺しの手ごたえの軽さに苦悩し、恐怖した上で「神となる」ことを月が決意するというきっかけの人物だと思うので、あまりに「殺されて当然」な人物では月の葛藤が省略されてしまうと思うのです…というか実際省略されてました。

ポテチの袋の中にテレビ

説明不足ではあるまいか? 他にも原作見てない人置いてけぼりの演出はけっこうあったように思います。基本スタンスが「原作ファンへのサービス」だと考えればいいのかもしれません。でも何で殺される犯罪者の名前が変わっちゃってるんだ? 映画版の犯罪者の名前、正確には覚えてないけどものすごく画数が多くて難易度めっちゃ上がってるよ。

弥海砂

演技がつたない感じも含めて「うひゃーイメージどおり」って思いました。ストーカーがADだったという改変も自然な流れ(もうちょっと伏線の描写に工夫が欲しかったけど…いきなり鼻を噛むミサも意味不明だったし)。後編での活躍、レムのCGを含めて期待してます。
ひとつ文句言っていい? ミサミサバスのデコレーションの出来が超悪いよ。アリモノのフォントをそのまま使ってるしデザインセンスも素人仕事だよ。もうちょいホンモノらしく作ってくれよー。

脚本

あの原作をうまいこと2時間の映画におさめたもんだなあと好印象。原作のええとこを詰め込みすぎていっぱいいっぱいになってる気も…。
「正義」の問題を原作よりも重めに描いてると思います。後編はきっとかなりの部分オリジナル展開になるでしょうし、原作のラストとは違ったものになるでしょうから、この映画が佳作と呼ばれるか駄作と呼ばれるかは後編のオチ次第ではないかとさえ思います。

懺悔

実は私、映画の途中で1回退席してしまいました…クーラーでお腹が…下痢が…! 映画にも観客にも迷惑な行為と思ってガマンしたんですけど、これ以上ガマンしたらもっと迷惑な惨事が繰り広げられそうだったのでやむを得ず。反省…。

萌え

リュークかわいいよリューク。もうちょっとオチャメキャラアレンジでもいいかと思ったんですが、映画版の解釈はこうなのかーで納得できる範囲。CGは思ったより綺麗。
粧裕が可愛かったー。夜神家の家族団欒がウソっぽく見えるのはどうしてだろう。
私的最萌Lはバーベキューの串にケーキ刺す場面でした。

罪の意識

一晩考えて何が私の中で引っかかっているかって、月が抱く罪の意識の流れが原作と違うという事だと思うのです。
原作では、月は最初、夜も眠れないほどの罪悪感と恐怖を感じますが、徐々に自分を正当化・神格化していきます。(そして最後、自らを神だと信じた彼は慢心の末に滅ぶという物語だったのだと思います)
しかし映画版では、月はむしろ最初のほうが信念や正義を持って殺人を犯していると思うのです。最初の殺し(テレビで見た立てこもり犯や渋井丸拓男)に対する恐怖の描写は皆無。むしろシブタクを酷い人間にしたことにより、月の正しさを見せる演出になっていると思います。
それがだんだんと綻びてくる。幸せな結婚を夢見ていたナオミ像を際立たせ、レイが死んだときにナオミを嘆かせる演出。そして詩織の死の際に月が見せた表情…むしろ徐々に月は、自分のしていることに疑問や齟齬を抱く演出が意図されてはいないだろうか? この流れだと、後編ラストで「月が改心」というエンドの可能性すらありえる気がして不安なんですよ。
映画版が原作をアレンジするのは当然なのですが、月がどういう意識の変化を経て最期に至るのかという部分はものすごく重要な根幹をなす部分です。作品の持つテーマまで改変するなら原作はいりません…。もし月が心を揺らがせるエンドを迎えるとしたら、それは私にとって「フランダースの犬でネロもパトラッシュも生きてるハッピーエンド」並みのショックです。
そういう不安が、月の演技や演出から見え隠れしたことが、ずっと引っかかってるんですよね…。

最後にいろいろと

私は結局映画版は「月以外はほぼ満足」なんだな。月の演技が悪かったのではなく、私が解釈するところの「DEATH NOTE夜神月」ではなくなっていたのが不満なんだ。
原作はいろんな受け取り方が出来る作品だったと思います。私は月を「堕落していく神」として描いていると受け止めたのですが、あるいは「過分な力を持った普通の少年」だとか「自分を正当化するダメな殺人者」だと感じている人もいるでしょう。その感じ方によって、映画版の月に賛同できたりできなかったりなのではなかろうかと。
この点については、他の人の考えもいろいろ聞いてみたいです。