ドラえもん観て来た

のび太の恐竜2006」を観て来ました。以下ドーンとネタバレ&ちょっと批判的なことも言ってます。大丈夫な方だけどうぞ。
前半は素晴らしかったです。期待以上でした。動きの描写のきめ細やかさ、のび太を取り巻く仲間達や大人達の描写も丁寧。白亜紀の美術美しー! 黒マスクかっこえー! 私の一番好きな場面は、黒マスクに「翌朝まで待ってやる」と言われたその夜、ジャイアンが「俺、歩いてもいいぜ」っていう場面なのですが、そこまではもう完璧といってもいい出来だったと思います。その時点で感動のあまり泣きそうでした。
…が、そのあとドルマンスタインが出てきたあたりから「あれれ?」って感じに…。ドルマンスタイン何でこんなお茶目キャラ入ってんの? 基地の中こんな破壊したら死ぬよー! あの極限の状況でどうやって悪の組織を檻に閉じ込めたの? そもそも基地が破壊され始めてからあと、何が起きてるのか画面から皆目伝わってきませんでした。前半の細やかな絵で魅せる描写はどこいってしまったの…? そしてタイムパトロールがダメすぎませんか。まずピー助を敵のまっただ中に転送する意味がわかんないし、20世紀の小学生たちに対して「彼らはもう先に行ってしまった…」じゃないですよ、ひみつ道具全部流されて歩いて日本とか無理ですから助けてあげてください! 敬礼して消えないでくださいー! せめて流された道具を拾って渡すとか…道案内とか…。ひと言でも「我々が手を貸そう」「いや、ぼく達の力で元の時代に戻ってみせます」的な会話があればスッキリしたものを、これじゃ本当にタイムパトロールが無能集団だよ。
(あの夜の「俺、歩いてもいいぜ」は「きっと無理だ、死んでしまうに違いない。でもぼく達は仲間なんだから歩くんだ」という諦念と決意が感動を生んでいたんですから、最後オトナが助けてあげるべき物語だったと思うのは原作至上主義に過ぎますか?)
重箱の隅っぽいことですが、気になった部分メモ。ドラえもんが脱出するときみんなを4次元ポケットに入れたのはどう考えても蛇足。だってあれ見たら「じゃあ北アメリカ〜日本までドラえもんがみんなを小さくしてポケットに入れて一人で飛んだらタケコプター5倍の距離持ったじゃん!」って思いませんか。あと「道具も全部流されちゃった〜」とポケットひっくり返して言った場面で多くの観客が「タイムマシンも流されてるからもうおしまいじゃん!」って思ったのではありますまいか。
原作に忠実にしてほしいと言いたいのではないのです。むしろ原作どおりにはとどまらないぞっていう気持ちはあってほしいと思います。でも、物語が原作を離れたとたんに細かな粗が見えてくるっていうのはどうよって思ったのですよ。原作どおりにしたほうが良かったじゃんって思いたくないから文句言いたいというこの複雑な気持ちをどう表現したらいいの。
最後の最後のコマ「ピューイ!」が原作の絵で補完されてたのには一瞬感動しそうになったけど、あれだって本気で映画を作ってるんなら映画の力で描くべきだったと思います。何か後半、演出も作画も投げてるように見えてしまって仕方なかった。ああ勿体ない。どうしても勿体ない。